7時に立って10時到着。114キロ。
途中、白馬のスーパーで、仏壇と墓に供える花を購入。主のいなくなった家に鎮座する仏壇にお花を供へ、水をあげ、灯明を点す。線香をあげて、二人で手を合わせる。祖父、父、弟の位牌が並ぶ。59歳で逝った父の後、家を一人で守った母。その母の位牌だけ山小屋に置いている。自分の好きなことをやって来た。もう、やり通すしかない。
お墓まで実家から歩く。距離は500メートルはあるだろうか、暑い!往復して汗だく。お墓は寺の檀家10軒くらいの共同で建てられたもの。保坂家としての墓はない。歳を重ね、実家、墓をどうするのか…。「面倒!」とも言っていられない。
例年だと、親戚回りをするのだけど、今年はコロナ禍で失礼した。昨年の塗り残しのペンキ塗り2時間。玄関上の剥がれた板の修理。暑さもあり疲れてしまい、これで終わり。山に帰りホッとする。涼し〜!
大町のクランク状の道から。山の名前未だ分からず。 |
ネチに入る橋から。真ん中尖った山は明星。 |
お墓参りの帰り。左手尖った山は明星。 |
実家は車の右手。 |
雨飾。 |
雨飾、ズームアップ。 |
鳥が羽ばたいてるような雲。ダイナミック。 |
佐野坂手前。 |
木崎湖で。2両編成の電車ばかりかと思いきや…。 |
お盆参りお疲れさまでした。
返信削除今年は暑く鳴門市は36度で海がとても近いため湿度が高く蒸し暑い1日でした。やはり湿度の低い高原はこの時期、気持ち良いんですね。
昨年の書き込みの中で「山形村に若い人が移住してくれるには」と言ったことを書かれていましたが、今、住んでいる徳島県に名西郡神山町という山形村より人口も人口密度も低い町があります。この町には若い関東からの移住者がたくさんいます。林業・農業がメインの町ですが、とても早い時期からネット環境が町内全域に光回線で繋がっていました。
そんな町で民宿を営んでいる地元の知り合い、またカフェを営業されている移住者など何人かの知り合いにお話を伺うと、移住者が重視していたのは、ネット環境が整っているか・携帯は安定して繋がるか・交通機関があって都市までそれなりの時間で行けるか・東京までどの程度の時間で帰れるかなどでした。
この神山町の場合、町からは定期的に徳島市内中心部へバスが出ていて交通の便は極端に不便ではありません。距離は25キロほどありますが・・。
そういったことから考えると、山形村は村内にも大型商業施設があり、松本市も近く、新幹線も遠くないので立地は神山町よりいいと思います。神山町の取り組みが一つの参考になるのかなぁと思ったりしました。可能性のある村だと思うんですが。
度々の書き込みありがとうございます。近々山形村へも来られる予定なのですね。「清水高原も移住地として候補に挙がっている」のでしょうか。気になります。私も把握してる物件もあります。案内くらいはできると思いますのでご連絡ください。0263-98-3014です。それと情報も、ありがとうございます。「神山町」の名前は耳した記憶があります。調べてみます。
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