気持ち良い日は続かず、曇りで−9℃の清水高原。
歩いていると、定住してから一度も顔を合わせてない別荘を見る。
見るにつけ、「この持ち主はどうしているのだろう?」と思ってしまう。
チョット寂しいな…。
午前中は人に会うために里に下りる。
「雨氷」の傷跡が痛々しい。倒木を片付ける重機が動いていた。
道に被さった木は伐られ道の脇に積まれているし、折れたまま無残な姿を晒す樹は沢山。これを片付けるのは簡単ではなさそう…。
でも、随分見晴らしも良くなった!、と思ってしまう。
「雨氷の被害」は大変だったが、起きた事はしょうがない。
なので、行政には樹を伐ったり、片付ける際、
「見晴らしも考慮」して整備して欲しいな〜、と思ってしまうのだ。
先日「清水寺で琵琶を聞く仲間」の初顔合わせのミーティングがあった。
出席の予定にしてたのが「雨氷」の後で夜道を走るのに怖じて、欠席してしまった。
この「仲間」は、「田原順子琵琶演奏会の夕べin清水寺」の実行委員会。
現在は本庄利昭さんが委員長で、名実ともに先頭で引っ張ってもらっている。
その琵琶の件で、本庄さんの所へ。ミーティングの内容を聞き、演奏会の後での交流会について話し合う。予定は本庄さんが詰めて、骨子が出来た所で、私から東京のファンクラブの人たちに伝える事になった。
日程は9月10日[土]に決定。詳細は、おいおい出していきます。
皆さん聞きに来てくださいね。「清水寺」で聞く琵琶の音、いいですよ〜!。
本庄さんとは、移住してきた2010年。
「清水寺」の幽玄な雰囲気が琵琶の演奏会にピッタリと思い、友人の琵琶奏者「田原順子」さんに声をかけた所、快く応じてもらい、動き出す。
まず教育委員会に行き、相談に応じてくれたのが当時教育長の本庄さんだった。
いろいろアドバイスをもらい、翌2011年の秋に第1回の開催にこぎつけた。
以降、毎年開催することになるのだが、その時のアドバイスで、立ち上げた実行委員会は、いろんな事情で解散することになり、新たに実行委員会を作ることになる。
1回目から、演奏会に興味を持って、熱心に聴きに来てくれた本庄さん。
2012年、定年を迎え自由になられたので、実行委員長にと口説いた。
やってもらう以上は名前だけでなく、動いてくださいね、とお願いした。
昨年は「田原順子ファンクラブ」を作り、
和田大生さんが会長で、交流にも力を入れていく。
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重機が出て、作業をしていた。 |
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途中から折れた松。風景も一変、見晴らしも良くなっている |