2018年12月6日木曜日

「死を意識する」することで変われる?

曇り空で、3℃の朝。わずかに青空も…。
それが昼頃からポツポツと降り出した雨が、夜になっても降り続いている。

71歳の手習いで、Eテレ10寺15分からの英会話を10分間、カミさんと二人で見ている。
火曜日から金曜日までの4日間の僅かな時間では、やすやすとは上達しない…。でもこれぐらいでないと、逆に続かないかもしれない。出かける用もあり、見逃すことも度々。でも、少しでも会話ができたら楽しいだろうな、と妄想することが、やる気に繋がってる。

こんな具合で、アレコレと興味を持ち首をつっこんでしまう。
カミさんには、「幾つまで生きるつもりよ!」とツッコミを受けている。確かに…。
もう「死を意識する」年齢なのかもしれないと思うのだが…。「死を意識することで、身辺整理ができて、本当に自分がしたいコトが見つけられ、シンプルに生きることができる」などと言う文章を読むと、我が身辺のモノたちの混沌とした状態を見るにつけ、これを整理するには、真剣に死と向き合わないと、このままなのか、と恐ろしくなる。

その後、メールチェックし、返事を出したり、メールしたり、ウエブを見てると瞬く間に午前中は終わってしまう。午後は生業のデザインを進める。

朝の景色。メダカたちは、まだ元気に泳いでいる。

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