2018年12月28日金曜日

祖父につながる注連縄の記憶。

−13℃と冷え込んだ朝、積雪5センチ。
年末年始を山小屋で過ごすHさん夫妻が来ている。明日は、娘さん家族も合流されて賑やかかな…。1週間前から見えているMさんも、今日は奥さんが見えて、年越しは、こちらみたいだ。年末年始、チョット賑わいのある清水高原になりそう。

午前中、買い残しの買い出しで、「つるや」へ。
さっと済ませて、サボテンでお弁当を買って超特急で帰る。里は雪は全く無くて拍子抜けする。午後は、糸魚川の実家からもらってきた南天を活けて、Solntでもらってきた注連縄に南天をアレンジして、玄関のお飾りにする。これで年越しへの準備の一つができた。

注連縄で思い出すのは、祖父のこと。
私の実家では、神棚に備える注連縄は祖父が作り、親戚にもあげていた。土間で、藁をすき、柔らかい部分を除き、綺麗な芯だけにして、木槌で叩き、適当に柔らかくした後、なって行く。見ていて面白かった。祖父が亡くなってからは、父が作っていたのか…、そのあたりの記憶は曖昧で、注連縄といえば祖父の記憶しか無い。昔、藁はしっかりストックしてあった。それは、いろんなものに姿を変えて利用されていた。冬になると、土間に陣取って藁細工をする祖父だった。今はコンバインが普及し、その場で細かくされて、田んぼに撒かれてしまう。注連縄などに使うワラは、別に作られるとか。時代の流れか…。
昔は、モノがうまく循環していた。

上下の雲を押し開けて、陽が射してきた。
朝、凍っていた小屋掛のバケツの水。
活けた南天。
玄関に、もらってきた注連縄と
南天を組み合わせて飾る。

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